2012年06月06日

死ぬとゆうこと。

今日のBlogは、
いつもとは
違う感じの
文章になります。


今日
親戚のおばあちゃんが
亡くなりました。

上品で
いつも笑顔で
可愛らしい
おばあちゃんでした。

微笑みながら
優しい口調で
話す姿が
今でも
目に浮かびます。

つい数週間前には
友人の父親が
亡くなりました。

まだまだ若く
病気のことを聞いても
亡くなるなんて
思ってもいなかった。

一緒に
呑みにも行ったね。

鶴岡に
お寿司を
食べに行ったことも
あったね。

家に遊びに行くと
いつも
焼酎を
呑んでいたね。

めちゃくちゃ
イケメンだったな。

そんなことは
どうでも
いいのだけれど。

もう
会えないから
悲しい。

それは
当たり前だけど。

「死」という事実
そのものが
悲しいのかも
しれない。

アーティストは
親が死んでも
歌わなければ
いけないこと。

その可能性が
あること。

つい最近
聞いた言葉だった。

人の死に対して
覚悟を
しているつもり
だったけど。

それはただの
過信であって。

虚像の自分。

ただただ
弱い私だ。

人が「死ぬ」
という事実は、

悲しくて
とてつもなく
私を
無にさせた。

人は悲しいくらい
忘れていく生き物だと
ミスチルの歌に
あったっけ。

雨は冷たいけど
濡れていたいの
思い出も涙も
流すからと
森高千里の歌を
歌ったけど。

簡単に
忘れられる
ものでもないね。

ちょうど
今夜は
土砂降りの雨だけど
思い出は
流れてはくれないね。

忘れることが
いいとか
悪いこととか
そんなことじゃあなくて。

やけにどうでもいい
くだらないことで
満たしてやろうかとか。

今なら円周率も
覚えられるんじゃないかとか。

そんなことを
考えつつ、

今日の自分を
反省したら、

昨日の自分が
別人だったらと
思ったりして。

土砂降りの雨の音が
あるだけマシだったな。

本当にそう思う。

人が「死ぬ」
という事実は、

悲しくて
とてつもなく
私を
無にさせた。




2012.6.6
asari
posted by asari at 23:59| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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